2014年03月21日

日本と海外、どっちが公平?

日本という国は、ほんとうに平等な社会です。
大学受験に関しては、ですが。

教育の独立性と偏差値と予備校と学歴おおたとしまさ氏ブログより
http://blog.glam.jp/toshimasaota/2014/03/post-50b2.html

日本では一般的に大学を受験する際に、親をはじめとした親族の学歴や寄付の有無などを問われることはありません。
ましてや、居住エリアや出身校の名前によって合否に影響が出るということもあまり聞いたことがありません。
日本では基本的にテストの点数だけが基準になる「平等な」受験だといえます。
しかし、これは世界的にみると、意外と少数派かもしれません。
例えば、大学世界ランキングの一位、アメリカのハーバード大学。
親族が卒業生なら入学できる「レガシー枠」が、ちょっと昔までは30%、現在でも15%くらいはあると言われています。
また、高校での優等生の組織である全米優等生協会の会員や、さまざまな大会の成績優秀者やコンテスト入賞者、富裕層枠や人種枠なども存在します。
日本ですと東大合格何十何名!という名門高校がありますが、ハーバードでは一つの高校から合格できるのはほんの数人までです。
だから有名私立高校に行ってしまうと、かえってハーバードに入れなくなるという事態が発生してしまうわけですね。
そして、面白いのがアメリカンドリーム枠。
日本の大学では考えられませんが、ハーバード大学では毎年”変わった”経歴の人を入学させています。
家庭崩壊でホームレスになった高校生や、大学の食堂や清掃スタッフとして働きながらコツコツ勉強をしていた人などを定期的に”合格させる”のですから驚きです。
つまり、志願者が一定の基準を満たしているから”合格する”のではなくて、あくまで大学側が欲しい人材を選んで”合格させる”わけです。


「だれも書かない☆ニューヨーク1%未満☆」コモンるみさんのブログ
アメリカ大学受験事情がよくわかります。
http://ameblo.jp/rumicommon/entry-11748886947.html
http://ameblo.jp/rumicommon/entry-11750479247.html
両親が共にハーバード卒の上、高校での成績も、テストも、スポーツも、趣味も、ボランティアも、全てが申し分ない完璧な成績でも不合格になることがあるそうです・・・ 


これはイギリスでも同様なのですが、現在も階級社会であることと、アメリカのように多様性を”売り”にしていない分だけ不透明感が満載で、かつてオックスフォードやケンブリッジで大問題になったことがあります。
2000年に、イングランド北部の田舎のパッとしない公立校に通う天才女子学生が、オックスフォードの医学部を不合格になったことがありました。
その女子学生の通う高校の校長が「これは差別だ」と叫んだことから、これが”事件”となってしまったのです。
イギリス国会でも大問題になりました。
ちなみにその後彼女は、イギリスから10人しか選ばれないハーバード奨学生に合格し、1000万円以上の奨学金を得てアメリカに渡ったということです。


ロンドン憶良さんHP
http://www.asahi-net.or.jp/~cn2k-oosg/elitism1.html
1999年にも同様に成績優秀な女子生徒がオックスフォードを落とされて、その後ハーバードを合格したそうですから、二年続けての”事件”だったわけです!校長が怒るのも無理はありませんね・・・


ペーパーテストの一発勝負が中心の日本ですが、受験生からみた公平性という観点だけから見ると、それはそれで理に適っている部分もあるかもしれません。
でも、合格ライン前後の1点の違いとは、いったい何の違いなのでしょうか?
学校からみた場合、その1点の差は何の差だと考えるのでしょうか?
海外の学校ですと、進学校へいけばいくほど力を持っているのがアドミッション(入学審査係)と進路指導のスタッフです。
日本では先生たちが掛け持ちで行うことが多いでしょうが、海外の進学校では高度な専門性と幅広い人脈を持った人たちによる専任の部署です。
この二つ部署の質で、その学校のカラーと評価が決まると言ってもいいでしょう。
そして学校にとって大事なことは「有名大学に何人合格したか」ではなく「どれだけ奨学金付きで合格したか」にあります。
これはテストの点数だけでは測れない要素ですので、学校運営の強力なインセンティブになることでしょう。
全国一斉学力テストの結果公表をするかしないかで揉めている日本の学校の姿は、残念ながら何を目指しているのかが一向に見えてきません。
英語教育や大学受験制度、教育委員会や教科書検定・・・、日本の教育界は問題山積です。
何事も一括・一斉でないと良しとしない平等意識と世の中に広がる多様性のはざまで、まだまだ混乱し続けるのかもしれません。
「みんなが一緒に」という余計な”絆”を無くすだけで、日本社会はずいぶんと楽になるのでは・・・と考えるのは僕だけでしょうか?







posted by 岡昌之 at 02:52| Comment(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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