2014年06月25日

いい子はね 大きくなって 海を渡るよ

息子たいかんが体調を崩し、二日連続で自宅静養。
こんな時はTSUTAYAへ繰り出し、ビデオをたんまり借りてくるに限る。
4本借りるとお得なので、だいたいいつもお気に入り2本と初めて観るものを2本選択。
今回の大ヒットは、フランスのアニメ映画『アズールとアスマール』でした。



物語は中世ヨーロッパから始まります。
とある貴族の館で乳母として雇われているアラビア人ジェナヌは、領主の子アズールと自身の子アスマールを育てていました。
しかし、アズールに接する際に時々アラビア語を使うジェナヌに対し、アズールの父は面白く思っていません。
成長するに連れ争いが絶えないようになるアズールとアスマールを見かねた彼は、アズールを町の家庭教師の元へ送り、ジェナヌとアスマール母子を館から追い出します。



時は流れて、立派な青年となったアズールは、ある日父にこう告げます。
「僕は海を渡る」
海を渡り、乳母ジェナヌの国へ行くと宣言したアズール。
その理由は、昔彼女が毎日のように歌っていた子守唄でした。

いい子はね 大きくなって 海を渡るよ 
救い出すよ ジンの妖精を ふたりは幸せに


アズールは本気でアラビア世界に伝わるジンの妖精を探しに行くというのです。
しかし北アフリカへ向かう途中、嵐で漂流したアズールは貧しい人々の住む村へたどり着きました。
昔ジェナヌやアスマールと話していたアラビア語を思い出しながらコミュニケーションを取ろうとしますが、思うように通じません。
しかも、村人たちは貧しさゆえに古い因習にとらわれていて、青い目をしたアズールを不吉だと迫害しました。
今まで自分が夢見てきたジェナヌの国が醜いものに溢れていることに失望した彼は、青い目を隠すため盲人として振舞うことに。
そんな時、荒野で一人の奇妙な物乞いクラプーと出会います。
クラプーは人々に笑われながらお情けを頂戴し生きている不思議な男です。(日本語吹き替えは香川照之氏なのですが、まるで彼のために作られたキャラクターのようです。顔がそっくり!)



語学堪能な幼きシャムスサバ姫が治めるこの国は、イスラム教・キリスト教・ユダヤ教が共存している社会。
しかし、相互が理解しあっているとは言い難く、諍い・偏見が絶えません。
無事にジェナヌの家へたどり着き、アスマールとも再開を果たしたアズール。
姫のヘブライ語・ギリシャ語の教師でもあるユダヤ賢者の知恵を借り、いよいよジンの妖精を探す旅の支度を始めたのですが・・・




『KIRIKOU(邦題:キリクと魔女)』で世界をアッと言わせたミッシェル・オスロ監督のこの作品は、中世の地中海沿岸の世界観を息を呑むほどの素晴らしい映像美で描き出した傑作中の傑作と言えるでしょう。
息子も興奮して二回連続繰り返しで観て、さらにメイキング映像まで集中して観ていたほど。
最初映画が始まった時は、その独特の世界観に戸惑います。
絵は平面的で一見立体感が無く、まるで一昔前のゲーム画面のよう・・・
しかし、それがまるで紙芝居や影絵のように、観る方の想像力を引き出す仕掛けになっています。
平面的な分、模様のパターンが幾何学的で、それが何とも言えない奥行を演出しています。
背景に余計な情報がない分、この世界観に引き込まれてしまうのでしょう。

そして、この映画のもう一つの独特な世界観が「何を言っているのか分からない言葉」です。
主人公を含め主要人物たちは、フランス語(吹き替え版では日本語)とアラビア語を両方使い分けるバイリンガルです。
しかしそれ以外の人々は、アラビア語しか話しません。
アラビア語には字幕も吹き替えも付きませんので、アラビア語が分からない人には、何を言っているのかがさっぱり理解できません。
観る人は、その人の仕草や雰囲気や流れで察するしかないのです。
だけどこれは、現実世界そのもの。
移民の多い国や、見知らぬ土地へ旅したら、誰でも経験することなのです。
とても面白い試みだと思います。
子供は、特にうちの息子なんかは、大人と違いこういうことにストレスや違和感を覚えないようです。
彼の通っている学校では、日常茶飯事だからかもしれません。
彼のクラスメイトは、英米の他、コロンビア、イタリア、スウェーデン、イスラエル、台湾、フィリピンと様々なバックボーンを持ち、第一言語はそれぞれの出身国の言葉です。
でも学校では、共通言語として英語でやりとりをします。
でも、喧嘩する時や込み入った話をする時は、母国語になったりします。
この映画でも、それまでフランス語(日本語)で喋っていた登場人物が興奮したり聞かれたくない話をする時に、突然アラビア語で話し始めます。
こういうことは実際複数の外国人と話している時や、外国でタクシーに乗った時などに経験するかもしれません。
どうせ日本人だから分からないだろう、と聞かれたらまずい話や悪口などを英語以外で喋ったりしますからね。
言葉が通じない決め付けてしまうと、誤解や猜疑心や嫌悪感が芽生えてきます。
外見が異なると余計にそうなるかもしれません。
そうやって人々はお互いの間に距離を作ってゆくのでしょう。

あと、もう一つ特筆すべきは、リアルな中世の描写です。
中世の時代は、ヨーロッパが”引きこもり”だった時代でした。
ルネサンスで復活するまで、ヨーロッパはキリスト教の悪い一面に支配され、文化、特に科学が著しく停滞した時期です。
一方その頃のイスラム世界は、まさに栄華を極めた世界。
科学の分野ではヨーロッパを圧倒していました。
その理由の一つが、迫害されヨーロッパからやって来たユダヤ人たち。
彼らの語学・哲学・数学・科学技術は、イスラム世界にも多大な影響を与えます。
映画に出てくる幼き姫は、まさにその象徴とも言えるでしょう。


さて、最後にもう一つ。
映画のクライマックスの話です。
これだけ異文化間の問題についてストレートに描写したオスロ監督は、最期の最期に驚くような結末を用意してくれました。
何をもってして人は惹かれあうのでしょうか?
絶対的他者である二人の人間の間に横たわる距離は、どうやって乗り越えたらいいのでしょうか?
その答えは、これまでの数々の冒険を締めくくるには、余りにもあっけない幕切れかもしれません。
特に情緒やストーリー性を重要視する日本人にとっては。
しかし、フランス人は違います(笑)
実に簡単なことなのです。

肌を重ねてみればいいだけのこと。

地中海沿岸では、古来からそうやって混じり合ってきたのですから。




追伸

いよいよ日本でも、フィリピンやインドネシアから出稼ぎベビーシッターや家政婦に来てもらおうと考え初めています。
この映画を観ながら、彼女らに世話をしてもらった日本の子たちが「海を渡り」、アズールのように異文化間の架け橋になることを想像していました。
でも、それよりもこの映画に出てくる三大宗教文化を、日中韓に置き換えたような御伽噺も必要ですね。
お互いに、助け合ったり、いがみ合ったり、交じり合ったりしているところは、地中海沿岸世界とどこか似ているところもありますから、東アジアも。


posted by 岡昌之 at 16:35| Comment(0) | エンタメ・アート・サイエンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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