2013年05月20日

僕らが旅に出る理由〜LET IT BE

先日こんな記事を見かけた。
<世界遺産:「宇佐神宮・国東半島を」 推進団体、再チャレンジ目指す /大分>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130508-00000212-mailo-l44

去年の冬に僕は息子を連れてこの地を旅した。
実はこの旅で、息子に対する僕の想いが決定的に変わった”事件”が起こった。
それは宇佐神宮でのこと。
僕らは祈祷を済ませ、宮司さんに社殿の中に案内されて本殿(国宝)を前に、ここ宇佐神宮の歴史の説明を受けていた。
宇佐神宮の由来はこんな伝説によるそうだ。
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「八幡宇佐宮御託宣集」によれば、欽明天皇29年(568)、筑紫豊前の国宇佐郡菱形池近くの小倉山の麓に、鍛冶の翁がいた。体が1つで頭が8つもあり、5人見に行けば3人は死に、10人見に行くと5人は死んだ。(八幡神は荒ぶる神であった)
 大神比義(おおがのひぎ)が行ってみると金色の鷹がいた。あなたはどなたの変身ですかと問うと金色の鳩となって飛び来て袂(たもと)にとまった。これは神様が姿を変えたもので、何か伝えたいのではなかろうかと、3年間五穀をたち精進した。
 すると同天皇32年(571)、3歳の小児が竹の葉の上に現れ仰せられた。「辛国の城に、始て八流の幡と天降って、吾は日本の神と成れり。」「吾は釈迦菩薩の化身で一切衆生を救わんと念ずるため現れた。われは日本人皇第15代誉田天皇広幡八幡麿(応神天皇)である。わが名は護国霊験威力神道自在王菩薩であり、国々に神道として垂迹す。」と唱えた。
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今から1400年以上前ここ宇佐に3歳の童に姿を変えた菩薩が現れて、自ら神であることを宣言したそうだ。
へ〜、3歳といえば息子と同じくらいだな〜、なんて僕は話を聞いていた。(当時息子は2歳8ヶ月)
すると長い話が退屈だったのか、息子がスクっと立ち上がって辺りを歩き始めた。
僕は息子を連れ戻すため後を追った。
息子は歩きながら何かを歌っていた。

When I find myself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom,
"Let it be."

And in my hour of darkness
She is standing right in front of me
Speaking words of wisdom,
Let it be.

Let it be.
Let it be.
Let it be.
Whisper words of wisdom:
Let it be.

------ 日本語訳 -------

私が悩んでいると
マリア様が現れて
賢い言葉をおっしゃる 
「そのままにしておきなさい」

そして私が暗闇の時の中にいると
マリア様は目の前にお立ちになり
賢い言葉をおっしゃる
「そのままにしておきなさい」

そのままにしておきなさい
「賢い言葉を呟くがよい。
『そのままにしておけ』と」

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息子が歌っていたのはThe BeatlesのLet It Be。
僕は鳥肌が立った...

息子がこの歌を知っていることには理由がある。
この旅の五ヶ月前に僕らは東京の調布にあるアメリカンスクールの文化祭に遊びに行った。
そして合唱部のコンサートを観た。
当時息子がアメリカの高校合唱部を舞台にしたドラマ「glee」にハマっていたからだ。
プログラム最後の曲はビートルズのLet It Be。
息子は最後まで集中して観ていた。
その日以降、息子の学校の送り迎えの途中でしばしばLet It Beを歌ってくれと僕はせがまれることになった。
もちろん息子は歌詞の意味など分かっていない。
でも彼の中で何か響くものがあったようだ。

しかし、なぜこのタイミングで彼はこの歌を口ずさんだのだろう?
しかもまだ2歳児だ。
子供の記憶力には日頃驚かされてはいるが、これは尋常な出来事ではない。
確かに僕はこれまで息子を育てるにあたり、ちょっと”普通”じゃないやり方を施してきた。
だが、これを契機に決意を新たにせざるを得ない。

こうして僕は、息子にとって理想的な教育環境を見つけるために、世界の学校を訪ねる旅を始めた。


さて、国東半島はとても風光明媚なところだ。
山の中に見事な寺がたくさんある。
古くから修験道のメッカとしても知られている。
行ってみて思ったのだが、確かにここ国東は風景が大陸的だ。
まるで仙人が住んでいるような中国山水画風の景色が続く。
ゴツゴツした巨大な岩山、不思議な巨石群、樹齢千年以上の巨木...
そして、子連れ旅行だったら一番のオススメは文殊仙寺
日本三大文殊に数えられる日本屈指の”智恵”のお寺。
ここの”智恵の水”はぜひ子供に飲ませたい。
もちろん僕も飲みました。
40過ぎてもまだまだ智恵が足りないですからね。
護摩も素晴らしかったし、住職の説法もグッド。
唯一残念だったことは、姫島へ行けなかったこと。
島好きとしては、次回は必ず行くぞ!







posted by 岡昌之 at 19:27| Comment(0) | 父子旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月24日

ムスタキの死



歌手のジョルジュ・ムスタキ(Georges Moustaki)が亡くなった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130524-00000035-reut-ent
僕が彼を知ったのが、今から約20年前のこと。
大学を中退してぶらぶら放浪生活を送っていた頃、中古レコード店で髭面の渋い顔にヤラれてジャケ買いした一枚のレコード。
それがジョルジュ・ムスタキだった。
ギリシャからエジプトへ亡命中だったユダヤ人夫婦のもとアレキサンドリアで産まれ、フランス系学校で教育を受け17歳でパリへ渡り、恋人となったエディット・ピアフの庇護のもとシンガーソングライターとしてのキャリアをスタートさせたムスタキ。
新潟の片田舎の代々続く農家のセガレという超ドメスティックな出自がコンプレックスだった当時の僕にとって、ムスタキは一瞬にして僕の憧れの存在となった。
彼は自らの出自の複雑さからくる「孤独感」を歌にした。
若かった僕も何とか彼のような「孤独感」を醸し出そうと、それっぽい音楽を聴き、それっぽい本もたくさん読み、そして旅にも出た。
(十代を通してまったくモテなかった僕が人並みにモテるようになったのも、この頃の鍛錬によるものだろう)
そして生まれて初めて旅をして一番驚いたことが、旅先に必ずと言っていいほどユダヤ人の若者たちがいたことだ。
なるほど、ムスタキの言う通りだった。
彼らは本当に「孤独感」と「連帯感」を胸に世界を旅しているんだと納得。
今よりさらにカタコト英語だった僕は、ありったけの語彙と知識を振り絞ってムスタキとかユダヤ系アーティストの話をしたような記憶がある。(それしかユダヤの知識がなかったから...)
ともかく、僕の第一次”旅人”時代はムスタキの歌とともにあった。

ムスタキ亡き今、僕にとって残された憧れのアイドルはレナード・コーエン(Leonard Norman Cohen)をおいて他はいない。
彼もユダヤ系カナダ人アーティスト。
ムスタキのレコードと共に買ったアルバム『Various Positions』は擦り切れるほど聴いた。
しかも当時より今のほうが、僕を構成する細胞というか素粒子レベルで振動が起きる。
彼のユダヤ人としてのアイデンティティ(過去との継がり)と禅僧としてのアイデンティティ(現在・未来との継がり)のバランス感覚が僕は好きだ。
あんな声にも憧れている。
数ヶ月前インドネシアからの帰りのこと、照明が落とされ息子も他の乗客たちも寝静まった機内で、機内音楽リストの中に彼の最新作『Old Ideas』を発見し独り聴いていた。
音楽を聴いて、久しぶりに涙が出た。
いつか息子も聴くだろうか。






posted by 岡昌之 at 12:21| Comment(0) | 父子旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月30日

遠くまで行け。そして深く考えよ。A

アジア諸国を息子と旅していると、その国々や地域によって日本人を見る目が微妙に違っていることに気付く。
僕らが何度も訪れたインドネシアは、親日的な国民性として日本ではよく知られている。
しかし一般的インドネシア人を見ていると、明確な理由があって日本が好きなわけではなく、インドネシア経済を牛耳っている中華系のガツガツさがあまり好きではないので、自分たちと似た”おっとり”系の日本人が好きなだけのように見えなくもない。
それくらいジャワやバリの人たち(特に男性)は、本当にノンビリしていて温厚だ。
僕のような人間にとっては、まことに居心地がいい。

さて、インドネシアが第2次大戦後に独立を果たした背景には、日本が大きく関わっている。
正確には、元日本人たちが。
それまでオランダの植民地だったインドネシアに日本軍は駐留していた。
ここでは特に大きな戦闘もなく、軍属や日本から送り込まれてきた商社マンを使って物資(主に鉄)を調達して日本へ輸送することが主な役割。
それから、インドネシアの若者たちへの軍事訓練。
イギリス・フランス・オランダなどの列強国がアジア戦線において、所有する植民地の人々を兵士として前線で”使い捨てて”いたことを真似ようとしたのだろう。
だが、インドネシア駐留日本軍にとって予想外の日本の全面降伏。
戦争が終わって皆喜んで日本に帰るのかと思いきや、日本軍全部隊でなんと2万人以上の日本兵は日本に帰還しなかった。
中でもインドネシアでは多くの日本兵が現地に残ることになる。
その理由はさまざま。
実戦に飢えていた者、死んで来ると言った手前帰るに帰れない者、そもそも日本に居場所が無い者、上官に騙された者、こちらで女ができた者...
そして彼ら元日本兵(その数2000人以上)は再び侵攻して来たイギリス・オランダ軍と戦うこととなった。
インドネシア兵として。
日本軍が残していった武器弾薬がインドネシア独立軍の主力武器だ。
そうして1949年にインドネシアは独立を果たす。
日本との国交も樹立され再び日本へ帰ることも出来たのだが、多くの人たちは現地に残った。
そして再びやって来たのが、日本の商社。
現地での元日本兵たちのネットワークを活用し、インドネシアと日本の貿易を拡大。
彼ら元脱走兵たちが日本の復興と高度経済成長を支える影のキープレーヤーだったことを知って、僕はとても驚いた。
こんなこともインドネシアの親日心情の下地になっているのかもしれない。

深く考えずに、遠くまで来てしまった日本軍。
そして、現地に残り深く考えた元日本兵たち。
彼らに歴史のスポットライトが当たることはこれからも無いだろう。
でも僕は彼の地で彼らを想う。


さて、来る6月2日はMamaBA GLOBALのイベントです。
僕も講師として参加しますので、興味ある方はぜひ!
http://peatix.com/event/13142


僕が大学時代サークルでお世話になった先輩青沼陽一郎氏の著書です。
これを読んでアジアを旅するのと読まずにするのでは、見える景色や人の顔が全く違ったものになることでしょう。
しかし、1円で売るなんて!
中身読んでないだろ!





posted by 岡昌之 at 00:33| Comment(0) | 父子旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月03日

父子旅 in クラブメッド石垣島

先日クラブメッド石垣島へ行ってきた。
世界最大規模のバケーションクラブであるクラブメッド。
年配の方には”地中海クラブ”の方が馴染み深いかもですね。
発祥の地は、文字通り地中海。
かつて戦争に明け暮れたヨーロッパでは国々は疲弊し、夢を失った若者たちが溢れていました。
そんな若者たちに、自然の素晴らしさやヨーロッパの未来を担ってもらう国際意識を高めようという目的で地中海クラブは始まったそうです。
最初はヨーロッパ中から集まった若者たちがビーチにテントを張って寝泊りをする、まさに手作り感満載のキャンプでしたが、時を経て規模も大きくなり、今や世界を代表するリゾート施設となりました。
日本には石垣島の他に北海道にスキーリゾートがあります。
今回初めての石垣島&クラブメッド体験だったのですが、感想は一言。

「最高!」

息子を連れてたくさんの国を旅しましたが、ここクラブメッド石垣島は親子旅向けとして強くお薦めです。
まず、国際性豊かであるということ。
日本に居ながら世界中に人たちと交流ができます。
なぜなら、ホテルのスタッフの出身国が、なんと17ヵ国!
日本語・英語はもちろんホテル内公用語ですが、その他にも様々な言語が飛び交います。
たぶんこんなホテルは日本国内には無いでしょう。
普段インターナショナルスクールに通う息子でも、かなり刺激的だったようでした。
さらには、そのスタッフたちは”ただの”スタッフではないのです。
夜になるとミュージカルスターに大変身!
受付にいたスタッフや売店のスタッフ、そしてシェフまでもがステージで華麗に歌って踊ります。
しかも一週間毎日違う演目です。
そしてショーが終わると、満天の夜空の下でダンスパーティー。
さらには深夜までバーラウンジでどんちゃん騒ぎ。
ホテルスタッフも宿泊客も大人も子供も皆入り混じって、日付が変わるまで飲んで笑って踊っての大宴会です。
息子も朝目覚めると、
「今夜のショーは何かな?このみお姉さん(彼のお気に入りスタッフ)はどんなドレスかな?」
と夜の心配ばかり(笑)
こんなホテルは他にありませんね。

パパ的にも、ホテル内ではお酒が飲み放題なところが非常に気に入りました。
他のホテルだと、お酒って高いのでガブガブ飲めませんからね。
ここだと、いっぱい遊んで、いっぱい喋って、いっぱい踊るので、いくら飲んでも酔いません(笑)
飲んでも飲んでも汗になって発散するんでしょう。
本当に気持ちのいい毎日でした。

まるで南の島リゾートの紹介になっていませんね(笑)
でも、この夏の家族旅行にぜひ!



こちらに父子旅レポートが掲載されています。
ぜひお買い求めください!


posted by 岡昌之 at 18:57| Comment(0) | 父子旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月15日

田植え in 軽井沢

さあ、今年も田植えの季節がやってまいりました。
去年に引き続き、軽井沢の塩沢地区で息子と一緒に田植えをやってきました。
何と今年から、素晴らしい前線基地がオープン!
その名も緑友荘。
築100年の旅館を改装し、さまざまな用途に利用できるシェアハウスとして生まれ変わりました。
http://hub.visitor-center.jp/



年会費一万円を払うと、いつでも気軽に宿泊できます。
布団はレンタル料金が必要ですが、寝袋持参だと無料!



ぐっすり寝て目が覚めたら、本日絶好の田植え日和。
田んぼの中は、気持ちイイ〜!



苗の植え方を教えてもらいます。
みんな上手に出来るかな?



さあ、出撃!
のんびりしてると、足が抜けなくなっちゃうよ〜



なかなか様になっていますね。
これが御飯になると聞くと、子供たちも真剣です。



鎮守の森が田んぼを見守っています。
まさに美しい日本の風景。



空を見上げると、お日様の周りに丸〜い虹が。
そして、飛行機雲。
なんだか幻想的です。



田植えの後は、お待ちかね、去年収穫したお米で美味しい釜炊き御飯。
炊けたかな〜?



御飯が炊けるまで、地元のお兄ちゃんによる”昆虫講座”です。
今日は蜂の生態についての講義でした。



御飯が炊けた!
おにぎり美味しい〜!



午後は軽井沢の里山ツアー。
虫もたくさん採れるかな〜?



最後は、記念の植樹。
これはコナラかな?



さあ、大きく育ってね。
数年後には、息子より大きくなってますよ。
それまでちょくちょくここへ見に来なければいけなくなりました。
このエコツアーは結構商売上手!?



ちなみに、すぐ近所にカーリング専横アリーナもあります。
一年中利用でき、お値段も1人数百円とリーズナブル。
世界一立派な専用リンクと評判で、カーリングデビューするにはもってこいの場所です。




こちらに僕と息子の石垣島旅行の記事が載っています。
ぜひご覧ください!



posted by 岡昌之 at 00:26| Comment(0) | 父子旅 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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