2012年10月22日

続・宇宙親子


先週末は、僕たち父子にとって、ひとつのマイルストーンともいえる記念すべき週末となった。

まず土曜日。
僕と息子たいかんは、千代田区外神田にある3331ARTS CYDで極秘裏に開催された講演会へ出かけた。
NASAやJAXAとも関りの深い物理学者である佐治晴夫氏の講演である。
息子は大好きな宇宙の話が聞ける、と前日よりやや興奮気味。
カナダで買ったNASAスーツを身にまとい、いざ出陣!
...とはいったものの、やはり講演は一般オトナ向けだったので、彼が興味津々のビッグバンや宇宙の仕組みの話にはほとんど触れず、退屈した息子は僕の腕の中でスヤスヤ...
でも、先生の本には興味があるらしく、帰りにパラパラ。
たぶん、あと三年もしたらこの辺の本を読みそうだ...
さて、物理学にまったく縁の無い人たちにも分かり易く物理のイロハを教えることでは、恐らく右に出るものがいないと思われる佐治先生。
こういう本を全国の小学一年生とすべてのオトナたちに読んでもらいたい。
コドモにとって「14歳」では遅すぎる、と僕は思う。
学びをスタートする時に、たとえ分からなくても親が読んで聞かせてほしい。
そしてオトナには、「14歳」の心を持ち続けるためにこういった本を定期的に読むことが必要だ。
オトナは何もしないとアタマがカタクなっていく。
意識的に揉みほぐすことがカンジン。

そして日曜日。
日本各地で開催される留学フェアへ出展するために、今年の夏にカナダ親子留学でお世話になった語学学校IGKのオーナー一家が、東京へやって来た。
僕と息子、そしてあちらの娘さんとパパのQちゃんと4人で豊洲ララポートへお出かけ。
息子たいかんは、娘さん(同い年)と久し振りに再会して大興奮!
せっかく入ったキッザニアには興味を示さず、二人で外で遊びたい!と主張。
まるで夏の陽気のような中、飽きることなく遊び続ける二人。
そしてQちゃんが本屋に行きたいというので、ララポートの本屋へ。
そこで「事件」は起きた。
息子の通うようなインターナショナルスクールでは、子供がおもちゃなどを学校へ持って行くと、それを咎めたりせずに、みんなの前で「show and tell」という「発表」をやらせます。
彼はこれが大好きで、今日は何をshow and tellするかで持って行くもの選びを毎朝張り切ります。
とにかく発表や説明することが大好きな息子たいかん。
その彼が、本屋の科学雑誌コーナーの前で立ち止まり、まるで自分の本棚であるかのように突然こんなことを言いました。

「Hey Qちゃん、This is Science! I like Science! 」

そこにはNewtonや日経サイエンス、そして彼の大好きなNational Geographic誌が並べられていたのですが、しかしなんとまあ、自信満々な説明ぶりだったことでしょう。
これにはQちゃんもビックリ。
もちろん僕も信じられませんでした。
こんな台詞を言わせたこともなかったですから...
彼の口から出て来た、正真正銘の彼の「言葉」です。

その夜、僕はこんな夢を見ました...
時は2040年。
NASAの悲願でもある火星有人探査船が、ついに火星へ着陸。
そして、人類史上初めて火星へ降り立ったクルーの中に、一人の日本人の姿が...
彼の名は、Taikan。
地球を旅立つに先だって発表された2040年度ノーベル賞の物理学賞を弱冠31歳で受賞した、新進気鋭の若き物理学者である。
父からプレゼントされたデビッド・ボウイのアルバム『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars (1972年)』をBGMに火星の地を踏むTaikan。
彼はまさにスターマンとなった...
yeah!




posted by 岡昌之 at 13:50| Comment(0) | 子育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月24日

かみさまって なに?

ついにこの日が来た。
先日本屋に息子たいかん(三歳四ヶ月)と出かけたところ、彼が絵本コーナーで一冊の本を手に取り、深刻な顔つきで僕にこう言った。
「パパ、これをよんで」
不安と決意が複雑に入り混じった息子の表情と、その本の表紙に書かれた『かみさまはいる いない?』というタイトルを見て僕は、ついに来るべき日が来たことを悟った。

 息子は 「神」について 疑問をもち そして それが「何であるのか」 知りたがっている... 

まず本を一回読んであげてから、僕らはこんな会話をした。
「なぜこの本が読みたかったの?」
「たいかんは いつもかみさまにナムナムしてるから」
「どんな神様に?」
「おじいさんとかおばあさまの にんぎょうのかみさまに」
僕の想定より二年早かった。
無邪気に仏壇やお地蔵様にナムナムしていたと思ったら、こんなことを考えていたとは。
最初は、オトナの真似をしてナムナムすると周りのオトナたちが喜ぶので、やり始めたのだろう。
しかし、次第に彼の中で「ある疑問」が湧き出てきたのだ。

 かみさまって なに?

そういえば、僕が息子にイギリスやアメリカの話をする時に「GOD SAVE THE QUEEN」や「GOD BLESS AMERICA」を口ずさんだ時、やけに「GODってなに?かみさまなの?」って聞いてきたっけ...
油断していた。
子供だから単純な思考をしていると、僕は勝手に決めつけていた。
そして、もう一回もう一回とせがむ息子に、この絵本を五回も繰り返して読む羽目になった。
このあと息子に聞かれたら、さて何と答えようか、と考えながら...


さて、ここで告白をしておこう。
僕は神仏を拝むことが好きではない。
する必要がなければ、一切しなくても平気だ。
ただ、独身の時期はこんな「我が道を行く」でもただの変わり者だと思われるだけで済むが、結婚して家族ができるとそうもいかなくなる。
実家や親類の家なんかに行って、まず先にその家の仏壇で手を合わせないと、後から何を言われるかわかったものではない。
だから、そういう時は手を合わせながら頭の中で何も考えないようにしている。
なぜかというと、目の前にある「神仏」と「僕」との関係性が解からないから、である。
関係性が解からないものに対して、僕は心を開くことはできない。
でも、周りはそれを見て「安心」する。
この「安心」が「日本人の心」であり、アイデンティティの源泉なのだろう。
手を合わせ無心になった後、いつもこんな風に思う。


さてさて、息子にどんなことを教えるべきか...




posted by 岡昌之 at 12:24| Comment(2) | 子育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月26日

子供に見せたくないもの

子育てをしていると「これは子供に見せたくない」と思うモノがたくさん出てきます。
今までは何となく「いやだな」と感じていただけだったり、ちょっとした違和感をもつくらいだったものも、子供がこれを見たらどう思うだろうかと考えると、見せないようにしたり遠ざけようとするのは自然な親心かもしれません。
しかし、そうは言っても生活していく上では、どうしてもそういうモノと遭遇することになります。
ある親には、それがアニメや子供向け番組のキャラクターだったり、戦隊ヒーローものだったりすることもあるでしょう。
(うちの息子たいかんは幸運にも、そういうものにほとんど興味を示しません。僕が彼に唯一プレゼントしたキャラクターものは『スキマの国のポルタ DVD BOX』です。でもこれ高過ぎ。誰が儲けてるの?)
また、幼稚園「お受験」を控えた親にとっては、We Will Rock You ! と歌いながら裸足でどこでも走り回る野生児(うちの息子)かもしれません。
避けたくなるのもわかります。
でも、注意が必要です。
何かを子供から遠ざけるときに「なぜそうするのか」をきちんと説明する必要があるからです。
「〜したらダメ」とか「〜に迷惑がかかるから」というのは、説明になりません。
なぜそれが自分にとっても他人にとっても良くないことであるのかを、論理的に説明してあげなければいけないのです。
子供相手だからといってナメてかかると、その子は将来ロクなオトナにならないでしょう。
指示だけに従う人間になるかもしれません。
本当は見えているのに見ない訓練を重ねるうちに、本当にものが見えない人間になるかもしれません。
ちなみに僕が子供に見せたくないモノのベスト1はこれです。

 来る人来る人に「おはようございます」と挨拶している警備員と
 それにまったく注意を払おうともしない人々

僕と息子はスクールに通うため約2年間東京大学駒場キャンパスを毎日通り抜けしていました。
そして正門で毎朝この光景を目にしていました。
僕はこれを息子に見せるのが苦痛で苦痛でなりませんでした。
なぜ警備員はいちいち学生たちに挨拶をし続けるのでしょうか?
彼らは大学職員でも何でもありません。
ただの警備員です。
また、「おはようございます」と言われた学生たちは、なぜ警備員を「見えてないこと」にすることができるのでしょうか?
この光景は、有名進学塾の前や大手銀行の入口なんかでも見ることができます。
たいてい警備員が立っていて、来る人来る人にいちいち挨拶しているからです。
でも僕の見る限り、誰も挨拶を返してはいません。
不思議に思うことは、警備員の職務にこの挨拶が含まれているらしいということです。
そして、どの警備員もそれに文句を言わず、毎朝毎朝ただ繰り返しているのです。
学校側も銀行も、そして「お客さん」側も誰も疑問を持ちません。
ある日、これはもしや「罰ゲーム」なのかもしれない、と僕は思うようになりました。
日本社会人生ゲームにおける「罰ゲーム」です。
子供時代にあまり勉強しなかった(であろう)成れの果てである警備員に対する、社会全体の「罰ゲーム」です。
だから彼らが挨拶をしても、挨拶されることはありません。
それが、罰だから。
きっと親や塾の先生たちが、子供たちにこう言ってきたからかもしれません。
「ちゃんと勉強していい学校に行かないと、あんな風になるぞ」
ここまで露骨に言わなくても、これを匂わす言動をしていると、それは子供にきちんと伝わります。

僕はこの風景がとても嫌いだったので、息子共々毎朝大きな声で挨拶していました。
あまりにも毎日のことなのでマンネリ化しないように、息子にいろんな言語での「おはよう」を教えて元気いっぱい言わせていました。
そして、女性警備員だったらすれ違いざまに、息子に投げキッスをさせていました。

こんな親子が増えますように。





posted by 岡昌之 at 13:34| Comment(2) | 子育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月07日

ヒエログリフとウィトゲンシュタイン



息子たいかんの学校でのクリスマスパーティで渡すプレゼントを買いに、渋谷LOFTへ行って来た。
買ったのは「ヒエログリフを書こう」
今年エジプト展に四回も行ったほどのエジプト好きな息子は、いつも僕にヒエログリフを読んでくれとせがむ。
その度にアドリブで読んであげるのだが、うすうす彼もそれがその場しのぎだと気付いているようだ。
そこで、日本語・英語・ラテン語に続く第四言語としてヒエログリフを彼に学ばせようと考えたPh.Dadな僕。
我ながらナイスチョイス〜
...なんて浮かれながら本に手を伸ばしたら、僕は胸をどキュンと撃ち抜かれてしまいました。
伸ばした指先の隣に「それ」はひっそりと佇んでいたのです。
「君が来るのを ここで待ってたよ」と言わんばかりに...

その本の名は「透明な沈黙」
哲学者ウィトゲンシュタインの言葉と透明標本が融合した一冊。 
それは、一つ一つが力強く美しい哲学者のストレートな「言葉」と、複雑な生命活動を支える機能的でシンプルな「骨格」を色鮮やかに映した写真の、奇跡的な組み合わせ。

久しぶりにヤラレました。
育児を哲学するPh.Dadな僕と、なぜか化石や人体模型が大好きな息子たいかんにピッタリじゃないですか。
さて、今夜はこれを読み聞かせながら、二人で眠るとするか...









posted by 岡昌之 at 11:15| Comment(0) | 子育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月15日

ソーラー・ママ

日本における女性の地位の低さは、先進国の中でも群を抜いて低い。
(だから僕は、MamaBAというママさん組織のお手伝いもしているわけだが)
しかし、後進国の場合はもっと深刻だ。
社会的地位どころか、「生物的」地位まで低い。
学校に行かせてもらえなかったり、働きに出してもらえなかったり、村から一歩も外に出してもらえなかったりなどは当たり前。
ひどいところだと、少女が学校に行きたいと言ったら銃撃されたり、親や夫の手により一方的に殺害される名誉殺人も横行している。
インドからアフリカにかけての多くの国の地方部では、それがまだ日常的ですらあるのだ。
そのような地域に共通するのは、男性も仕事が少なく、経済的な余裕がないということである。
男たちの尊厳を守ることから来る因習なのであろう。
しかし、背に腹は代えられぬ。
貧しい村(と、情けない夫)を救うために、そんな貧困地域のママたちがインドのとある学校に集まった。
それが、「裸足の学校
読み書きもできないママたちが、初めての外国で、生まれて初めての学生として、半年間の留学生活を送る。
そこで彼女らは、自家用太陽光発電装置を作ることを、まさに"身振り手振り"で学ぶ。
そしてその後故郷に帰り、村の女性たちに教え伝えるのだ。
(なぜ"ママ"なのかというと、若い娘だとインドへ行ったまま帰って来なくなるのだそうだ)

そんな彼女たち「ソーラー・ママ」を追ったドキュメンタリがこの『Solar Mamas』
先日放送されたが、素晴らしい作品だった。
NHKオンデマンドで12月21日まで観ることが出来るらしい。

<ダイジェスト版はこちら>


電気が使えるようになるだけでも、生活はぐんと良くなるだろう。
彼女たちの奴隷のような労働も、相当楽になることだろう。
だが、この話はそんな「きれいごと」では終わらない。
現実とは、そう簡単に変えられるものではないし、また、そんな簡単なものであったなら、もうとっくの昔に改善されているはずだ。

世界は変わらない。
しかし、人は変わる。
人が変われば、何かが変わる。
それが何かは、変わった人にしか分からない。








posted by 岡昌之 at 05:44| Comment(2) | 子育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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