2014年03月10日

世界で使用される言語習得指標CEFR とは?

 

海外の学校でのサマースクールなどの募集要項で”CEFR”という文字を見ることが多くなりました。このコースは「CEFR A2/B1向け」、こちらのコースは「CEFR B2/C1向け」などと書かれていて、応募者が自分の語学レベルに適したコースを自ら選択出来るようになっています。このCEFRとはいったいどんなものなのでしょうか?

 


CEFRとは?

CEFR(Common European Framework of References for Languages:ヨーロッパ言語共通参照枠)は、ヨーロッパ各国で外国語学習者の習得状況や学習プランを、ヨーロッパ域内共通のフレームの中で理解・共有し合おうと、欧州評議会の言語政策部門により作られたものです。しかし、これは決して英語だけのためのものではありません。ヨーロッパ域内にはさまざまな言語があります。そして日本と違い、言語の使用地域と国境も一致していません。一つの国の中で複数の言語が存在する多言語(マルチリンガル)社会であるのですが、それ以上に重要なのが、一人の個人の中にも複数言語(パラリンガル)が存在していることです。多くのヨーロッパ人にとって、自分の両親や親戚たちの国籍や母国語が一致していないことは、別に特別なことではありません。お父さんがフランス人でお母さんがギリシャ人で、父方のおじいちゃんおばあちゃんはカナダに住んでいて、母方のおじいちゃんとおばあちゃんはスペインに住んでいるオーストラリア生まれの子供が、両親の離婚後あたらしいスウェーデン人のお父さんとベルギーに住んでいる・・・なんてことだって有り得ます。複雑な言語背景を持つ人たちが多いヨーロッパでは、かつて「国家=民族=言語」という近代国家主義において、幾多の虐殺や戦争を経験しました。そのことへの反省と、個人の持つ言語背景を尊重するという目的で、多言語だけでなく複言語であることを重視しようという流れになったわけです。

ヨーロッパにおいても、かつての外国語教育は文法や発音を重視した「言語体系学」のようなものでした。外国語学習本来の持つ「コミュニケーション」としての機能ではなく、”正しい”文法や”ネイティブのような”発音を目指す「学問」としての側面ばかりが重視されていました。それはまさしく現在の日本の英語教育と同じようなものだったといえます。しかし、欧州共同体の実現へ向けて、第一言語至上主義に陥らないよう個人の持つ言語背景を尊重し、外国語を全ての人がネイティブ・スピーカーのように使えることを目指すのではなく、個々人の習得度別やその目的別に生涯にわたって語学学習ができるように、そして、多国間での他言語学習への共通指標を作ることが必要になってきたのでした。

それまでは各国がバラバラに独自の語学検定制度を行っていました。ドイツでのフランス語上級者資格とイギリスでのフランス語上級者資格が同じレベルなのかが分からない状況が続き、多くの人たちが多国間を行き来するようになると、学習者も教育関係者も混乱することが多くなり、社会問題にもなりました。CEFRは日本でもお馴染みの英検やTOEICに代わるものではありません。各国の外国語教育の”スタンダード・基準”ではなく、あくまで”フレーム・枠組み”です。学習者がどのレベルのコミュニケーションがとれるのかを、各国間で共通認識出来るようにグループ分けしたものであり、決して能力資格ではないところが重要です。

そしてCommon Europeanという名からもわかるように、元々がある程度文化や言語に共通項を持つヨーロッパ人のために作られたものだったのですが、今ではヨーロッパ以外の国々にも広く使われるようになりました。現在日本でも日本語の世界共通参照枠作りを急いでいるようです。CEFR運営側も、いつかはEuropeanという文字を外すことも視野に入れて、世界的な枠組みにしていくことでしょう。

 

CFERのレベル分けについて

 

CEFRでは大まかに言語習得度をA1・A2・B1・B2・C1・C2のカテゴリーに分けています。

基礎段階の言語使用者 カテゴリーA

<A1> 英検3・4・5級、TOEIC 220、TOEFL iBT 32~46
よく使われる日常的表現と基本的な言い回しは理解し、用いることもできる。自分や他人を紹介することができ、どこに住んでいるか、誰と知り合いか、持ち物などのについて、質問をしたり、答えたりすることができる。もし、相手がゆっくり、はっきりと話して、助け船を出してくれるなら、簡単なやり取りをすることができる。

ホテルや入国審査などでのフォームの記入ができ、挨拶文などの短いものを書くことができる。

<A2> 英検準2級、TOEIC 450、TOEFL iBT 46~56
ごく基本的な個人情報や家族情報、買い物、近所、仕事など、自分と直接的に関係があるものや、よく使われる文や表現が理解できる。身近で日常的な範囲なら、簡単な言葉で説明できる。

礼状などといった短い手紙を書くことができる。

自立した言語使用者 カテゴリーB

<B1> 英検2級、TOEIC 500~790、TOEFL iBT 56~80
社会生活で普段出会うような一般的な話題について、標準的な話し方であれば主要点を理解できる。その言葉が話されている地域を旅行しているときに起こりそうな、たいていの事態に対処することができる。経験、出来事、夢、希望、野心を説明し、意見や計画の理由、説明を短く述べることができる。

身近で個人的にも関心のある話題について、単純な手法だが脈絡のあるテクストを作ることができる。

<B2> 英検準1級、TOEIC 790~900、TOEFL iBT 80~104
自分の専門分野の技術的な議論も含めて、複雑なテクストの主要な内容を理解できる。お互いに緊張しないで母語話者とやり取りができるくらい流暢かつ自然である。さまざまな選択肢について長所や短所を示しながら自己の視点を説明できる。

広汎な範囲の話題について、明確で詳細なテクストを作ることができる。

熟練した言語使用者 カテゴリーC

<C1> 英検1級、TOEIC 900~990、TOEFL iBT 104~117
いろいろな種類の高度な内容のかなり長いテクストを理解することができ、含意を把握できる。言葉を探しているという印象を与えずに、流暢に、また自然に自己表現ができる。

複雑な話題について明確で、しっかりとした構成の、詳細なテクストを作ることができる。その際テクストを構成する字句や接続表現、結束表現の用法をマスターしていることがうかがえる。

<C2> TOEFL iBT 117~120
聞いたり、読んだりしたほぼ全てのものを容易に理解することができる。いろいろな話し言葉や書き言葉から得た情報をまとめ、根拠も論点も一貫した方法で再構築できる。自然に、流暢かつ正確に自己表現ができ、非常に複雑な状況でも細かい意味の違い、区別を表現できる。

仕事や文芸作品の概要や評論を書くことができる。

これに各国がそれぞれ自国の語学習得者のレベル分布に応じた下部カテゴリーを設けて語学学習に応用しています。例えばフィンランドでは、最も多くの学習者が当てはまるA2を、A2.1.1 ・A2.1.2 ・A2.2.1 ・ A2.2.2 と4グループに分けています。一方、ヨーロッパ系言語と大きく異なる日本語を使用する日本では、多くのヨーロッパ系言語学習者がA1に集中するためにA1の下にA0を独自に設けています。

<A0>
挨拶や決まり文句などを理解でき、使うことができる。ごく簡単な質問を理解でき、自分の名前や年齢などを伝えることができる。簡単な単語を聞いて、それが何を指すのかがわかる。アルファベットの大文字・小文字を区別できる。

 

CEFR導入で変わること

 

日本におけるこれまでの中学・高校での英語教育は、まずアルファベットを習い、基礎文法から始まり、各種文法をしっかり網羅しながら、英文の日本語訳を中心に授業が進み、筆記体などの練習などをしながら、6年間で理論的には英語に困らないレベルになるという学習体系になっていました。しかし実際には、学校での6年間で英語が使えるようになる生徒は、ほとんどいないと言っていいでしょう。多くの日本人の英語取得レベルはA0とA1に集中します。これはやはり「コミュニケーション・ツール」「思考ツール」としての語学学習ではなく、試験や受験のための語学授業だったからだったと言えます。

しかし、CEFRに基づく言語学習の哲学は、日本の英語学習環境にも大きなうねりを起こすかもしれません。 現在日本にも本格的導入が進んでいる国際バカロレアの低学年向けプログラムなどとも親和性が高いので、学校での英語教育の存在意義や日本社会の他言語への意識を大きく変えていくパワーを秘めていると考えられます。

 

ちなみに2012年度より、NHKの各英語番組のレベル分けもCEFRが使われています。2013年度の表を見ると、やはりテレビよりラジオの方が上級者向けのようです。しかし、子供への影響や視聴者数の多さからも考えると、テレビの方こそB・C レベルの番組をもっと増やしてほしいものです。

 

NHKcefr

 

 

 
posted by 岡昌之 at 14:08| Comment(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月11日

PISAの意義と日本人生徒の課題?

近年、PISAの成績順位が発表されるたびに、「日本は〇〇位に後退した/回復した」と一喜一憂し、「脱ゆとりが成功」「中国・韓国・シンガポールに差を付けられた」と叫ばれる。これらの国々と比べられることに人一倍敏感な日本社会は、国を挙げてランキングアップを目指そうとしている。教育現場でもPISAを意識した教育手法を取り入れるところが増えてきた。ますますヒートアップするPISAランキング争いについて、少し考えてみたい。

20131204155159388_2011_OECD_PISA

 

自由経済・自由貿易・途上国援助の促進を図るOECD(経済協力開発機構)が、加盟各国の義務教育を終えた15歳の子供に対して行うテストProgramme for International Student Assessment, PISA(国際生徒評価のためのプログラム)は、2000年から三年おきに大規模に実施されている。回を重ねるごとに参加国・地域も増え、現在ではシンガポールや香港・上海、台湾や韓国などの東アジア地域が上位を占めるようになり、ランキングが発表されるたびにアジア各国関係者は一喜一憂し、その報道ぶりも加熱の一途をたどっている。しかし、以下のPISAの紹介映像でもわかるように、本来PISAは子供の学力や学習到達度を測るものではなく、その国において義務教育課程が、健全な市民生活を送る上でどれだけ機能しているか、を測るために作られたもの。義務教育を受けることにより、どれだけ社会にコミットでき、政府やメディアなどの権力による情報操作に騙されることなく、一人の市民として支障なく生活することができるか、ということに主眼が置かれている。

 




特定のカリキュラムの理解度や達成度を測る目的ではないテストであるから、日本のこれまでの一般的な学力テストとは全く異なる性質を持つ。何か公式を使って解を導いたり、作者の想いを汲むような問題は一切出てこない。PISAでは「リテラシー」という言葉がキーワードになっているように、与えられたテキストからどれだけ正確に情報を抽出できるか、が重要視される。そこでは、文章と表図が入り混じったテキストを読みこなし、さまざまな立場からの視点を同時に理解し、批評する技術が求められている。これだけ大規模なテストにもかかわらず、記述式回答問題も40%を占める。特定の文化に添うわけでなく世界中の子供たちに共通のテストをするわけであるから、出題テーマも実に多岐にわたり、ある国の子供たちにとっては全く身近ではなさそうなテーマは、やはりその国だけ正答率が極端に悪かったり、言葉や表現方法・文化の違いからくる差ではないかと思える極端な回答率の差も見受けられる。このテストの結果だけを見て、その国の”学力”だと判断したり、点数を他の国と比べてランキングに一喜一憂することには、あまり意味はないと言える。

では、このPISAから得られるものは何か?それは、各問題における正答・誤答・無回答の割合から見えてくる。ここから日本人生徒の傾向や問題点などさまざまな興味深い点も挙げられるだろう。

 

1) 記述式問題での無回答の極端な多さ

日本人生徒の最大の特徴は、記述式問題での無回答の多さ。参加国の中で群を抜いて無回答率が高い。PISA参加国平均値の倍くらいで、無回答率の低いアメリカや韓国の3〜5倍にも達する。一般的には「誤答率>無回答率」となるのだが、参加国中日本だけが極端に「誤答率<無回答率」となっている。これは日本人生徒が、自信が無いと答えを書かない傾向にあるのか、それとも、そもそも記述問題になると途端に苦手意識・抵抗感が表れてしまうのか。この記述式問題での無回答率の異常な高さは、日本の教育や社会が抱える構造的な問題と言えるだろう。

2) 選択式問題での正答率の高さ

一方、日本人生徒は正解を選択肢の中から選ぶ問題には滅法強い。そして選択式だと無回答率も低い。全体的に正答率・誤答率・無回答率が日本と似たような傾向を示すフランス・ドイツ・イタリアなどでは、選択式回答でも無回答が目立つのに比べて、日本では選択式になると無回答率は一気に下がる。

3) 評価・批評を求められる問題に弱い

与えられたテキストについて、文体や構成を評価したり、批判的に読む力が弱い。対立する意見からの妥協点や着地点を見出すような問題では、日本人生徒の無回答率が極端に高くなっている。恐らく今までの国語の授業などでは”文学作品”を作者の意図に沿って”鑑賞”することに主眼が置かれていたため、批評することについてあまり積極的ではなかったからかと思われる。

4) 授業への遅刻・欠席の点数への影響と、学校の評価

PISAでは、テスト前2週間以内の授業への遅刻・欠席割合も調べている。勤勉な日本人生徒はこれが極端に低く、2週間以内に遅刻をしたことがある生徒は9%(OECD平均35%)で、欠席をしたことがある生徒は3%(OECD平均18%)。そして、遅刻・欠席と平均点数の負の相関が他の国よりも極端に大きいことがわかった。遅刻をしたことがある生徒は遅刻をしなかった生徒より平均点が35点(OECD平均27点)下回り、欠席をしたことがある生徒はしなかった生徒よりも平均点が88点(OECD平均37点)も下回った。遅刻・欠席数は極端に低い一方、それらの生徒の点数は極端に平均値を下回る。何か大きな問題がそこに潜んでいるように思われる。

また、生徒が学校をどう思うかという質問では、日本人生徒の68%(OECD平均78%)が学校に満足していると答えている。しかし、「学校の状況は理想的だ」と答えた割合は31%(OECD平均61%)しかおらず、自分は満足しているがそれは必ずしも理想的ではない、という”何か奥歯に物が挟まった”ようなニュアンスが読み取れる。

 
生徒の学力や学校レベルに関係なく、これだけの世界的規模で行われるテストは現在PISAをおいて他になく、その公表結果からはさまざまなものを見出すことができるだろう。生徒や学校の個別データは公開されないが、OECD関係者の見解では、日本では回を重ねるごとに地域や生徒の育つ家庭の教育環境によって点数が両極に開きつつあるという。次回の調査は2015年。初めての2000年代生まれの子供たちになる。

 

2000年第一回PISA公開問題

http://www.ocec.ne.jp/linksyu/pisatimss/dokkairyoku.pdf

2009年PISAにおける日本人生徒の分析

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2010/12/07/1284443_03_1.pdf
posted by 岡昌之 at 22:12| Comment(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月21日

日本と海外、どっちが公平?

日本という国は、ほんとうに平等な社会です。
大学受験に関しては、ですが。

教育の独立性と偏差値と予備校と学歴おおたとしまさ氏ブログより
http://blog.glam.jp/toshimasaota/2014/03/post-50b2.html

日本では一般的に大学を受験する際に、親をはじめとした親族の学歴や寄付の有無などを問われることはありません。
ましてや、居住エリアや出身校の名前によって合否に影響が出るということもあまり聞いたことがありません。
日本では基本的にテストの点数だけが基準になる「平等な」受験だといえます。
しかし、これは世界的にみると、意外と少数派かもしれません。
例えば、大学世界ランキングの一位、アメリカのハーバード大学。
親族が卒業生なら入学できる「レガシー枠」が、ちょっと昔までは30%、現在でも15%くらいはあると言われています。
また、高校での優等生の組織である全米優等生協会の会員や、さまざまな大会の成績優秀者やコンテスト入賞者、富裕層枠や人種枠なども存在します。
日本ですと東大合格何十何名!という名門高校がありますが、ハーバードでは一つの高校から合格できるのはほんの数人までです。
だから有名私立高校に行ってしまうと、かえってハーバードに入れなくなるという事態が発生してしまうわけですね。
そして、面白いのがアメリカンドリーム枠。
日本の大学では考えられませんが、ハーバード大学では毎年”変わった”経歴の人を入学させています。
家庭崩壊でホームレスになった高校生や、大学の食堂や清掃スタッフとして働きながらコツコツ勉強をしていた人などを定期的に”合格させる”のですから驚きです。
つまり、志願者が一定の基準を満たしているから”合格する”のではなくて、あくまで大学側が欲しい人材を選んで”合格させる”わけです。


「だれも書かない☆ニューヨーク1%未満☆」コモンるみさんのブログ
アメリカ大学受験事情がよくわかります。
http://ameblo.jp/rumicommon/entry-11748886947.html
http://ameblo.jp/rumicommon/entry-11750479247.html
両親が共にハーバード卒の上、高校での成績も、テストも、スポーツも、趣味も、ボランティアも、全てが申し分ない完璧な成績でも不合格になることがあるそうです・・・ 


これはイギリスでも同様なのですが、現在も階級社会であることと、アメリカのように多様性を”売り”にしていない分だけ不透明感が満載で、かつてオックスフォードやケンブリッジで大問題になったことがあります。
2000年に、イングランド北部の田舎のパッとしない公立校に通う天才女子学生が、オックスフォードの医学部を不合格になったことがありました。
その女子学生の通う高校の校長が「これは差別だ」と叫んだことから、これが”事件”となってしまったのです。
イギリス国会でも大問題になりました。
ちなみにその後彼女は、イギリスから10人しか選ばれないハーバード奨学生に合格し、1000万円以上の奨学金を得てアメリカに渡ったということです。


ロンドン憶良さんHP
http://www.asahi-net.or.jp/~cn2k-oosg/elitism1.html
1999年にも同様に成績優秀な女子生徒がオックスフォードを落とされて、その後ハーバードを合格したそうですから、二年続けての”事件”だったわけです!校長が怒るのも無理はありませんね・・・


ペーパーテストの一発勝負が中心の日本ですが、受験生からみた公平性という観点だけから見ると、それはそれで理に適っている部分もあるかもしれません。
でも、合格ライン前後の1点の違いとは、いったい何の違いなのでしょうか?
学校からみた場合、その1点の差は何の差だと考えるのでしょうか?
海外の学校ですと、進学校へいけばいくほど力を持っているのがアドミッション(入学審査係)と進路指導のスタッフです。
日本では先生たちが掛け持ちで行うことが多いでしょうが、海外の進学校では高度な専門性と幅広い人脈を持った人たちによる専任の部署です。
この二つ部署の質で、その学校のカラーと評価が決まると言ってもいいでしょう。
そして学校にとって大事なことは「有名大学に何人合格したか」ではなく「どれだけ奨学金付きで合格したか」にあります。
これはテストの点数だけでは測れない要素ですので、学校運営の強力なインセンティブになることでしょう。
全国一斉学力テストの結果公表をするかしないかで揉めている日本の学校の姿は、残念ながら何を目指しているのかが一向に見えてきません。
英語教育や大学受験制度、教育委員会や教科書検定・・・、日本の教育界は問題山積です。
何事も一括・一斉でないと良しとしない平等意識と世の中に広がる多様性のはざまで、まだまだ混乱し続けるのかもしれません。
「みんなが一緒に」という余計な”絆”を無くすだけで、日本社会はずいぶんと楽になるのでは・・・と考えるのは僕だけでしょうか?





posted by 岡昌之 at 02:52| Comment(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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