2013年09月08日

元科学部であるパパの嘆き

「科学系の部活ない中学が73%、指導教員不足で」(読売on line)

天文部や生物部のような科学系の部活動(科学部)がない中学が7割を超えたことが科学技術振興機構(JST)の調査でわかった。
4年前に比べ、7ポイント増えた。理科を指導できる教員の不足などが理由とみられている。
同機構は今年3月、30人以上の生徒がいる全国の公立中から無作為に500校を選び、教師や生徒を対象にアンケートを実施。417校から回答があった。73%の中学校が「科学部がない」と回答し、理由としては、「顧問となる教員が不足している」が69%で最も多かった。科学部に所属している生徒は全体のわずか1%。理由で最も多いのは「学校に科学部がない」(59%)だった。
同機構理数学習支援センターの渡辺怜子副調査役は「子供が科学を身近に感じにくい状況にある。科学部だけでなく、観察や実験の機会を増やすなど、子供の興味を育てる環境の整備が急務だ」と話している。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130907-00000585-yom-sci



僕は中学時代、科学部だった。
2年生の時に「炭素の酸化反応」の研究で科学コンテストに入賞し、白元だったかロッテだったかにお褒めの賞状をもらったこともあった。
でも、特に科学が好きだったわけではない。
スポーツが苦手だったし、女子とコミュニケーションをとるのも苦手だったし、消去法で科学部に在籍していたのだ。
でも、理科室のあの雰囲気は嫌いではなかった。
理科の先生もなんとなく変わった人だったので、気楽だった。
でも多感な中学生時代を科学部で過ごすのはやはり胸を張れることではなく、サッカー部やバスケット部の男子と比べたら学校内での存在感は無いに等しい。
どこの中学校でも科学部ってそんな感じだったと思う。

さて、時は流れてあれから四半世紀。
あの科学部は絶滅危惧種となっていた。
もはや四校に一校しか存在していないという。
確か先日スーパーサイエンススクールがどうたらこうたら...ってニュースがあったような気がしたけど、あれは幻だったのか?(そうそう、スーパーサイエンス”ハイ”スクールなんだった。)
元科学部の僕は悲しい...
今日僕は人生で初めて科学部に愛着を感じた。
なぜ滅び行くのか?
理由は痛いほどわかる。
ダサい。キモい。暗い。モテない。そして、やっている意味がわからない...
だけど、元科学部にして現在世界を旅する僕は、もっと致命的な理由が存在していることを知っている。
それは、

”未来が無い”こと...

例えば、野球なりサッカーなり運動部で頭角を表せば、その先にはスポーツ推薦という道筋がキラキラと輝いている。
吹奏楽でも美術部でも、日々の練習が直接その後の入試での実技につながっている。
しかし、科学部にはそれが無い。
東大理T・Uや東工大の試験には残念ながら実技は無い。
科学部推薦なんてのもあまり聞いた事がない。
なぜだろうか?
僕はいろんな国の学校を取材してみたが、こんなことは僕の知る限り日本だけの現象だ。
成長目覚しいアジア各国の学校など目を見張るばかりの豪華な理科室が当たり前で、思わず「ここはどこかの大手企業の研究所ですか?」と、まるで僕はおのぼりさんみたいになってしまう。
しかもそのちょ〜カッコいい理科室は、ダイレクトに世界のトップへつながっている。
その教室の壁にはapple,google,intel,micro soft など、名だたる企業のポスターが貼られていた。
それらの企業が世界規模の科学コンテストを主催し、その中から優秀な中高生を探し出て奨学金を与え、さらに優秀な成績で大学を卒業したらそのまま会社で囲ってやろう...としているわけだ。
これは子供でなくてもモチベーションは上がる。
僕だって(大学中退)ただで超名門大学に行けて、さらにはそんなスゴい会社に入れるんなら、もう一回科学部になりますよ。
今度はしっかり胸張ってね。

すっかりアツくなってしまったけれど、やはり日本の科学部には未来が無い。
科学部で頑張っても東大にも入れない。
中高生向けのコンテストもたくさんあるけど、その賞品はまさに”子供だまし”のものばかりで、将来の何のたしにもならないものばかり。
イマドキの子供たちは忙しい。
無駄なことには時間を費やしてはくれない。
だから日本の中学校に科学部がない理由を、”指導教員不足”で片付けてはいけないですよ。
単純に子供たちは”未来”への嗅覚が敏感なだけ。
「もっと科学を好きになってもらいたい」なんてセンチメンタルは、子供にとって何の魅力もないでしょう。

元科学部が断言します。
日本の科学部に必要なものは、
@ 輝かしい将来への道筋
A それを担保する現物支給
B 注がれる尊敬の眼差し
この3つだけ。
たったこれだけで、学生の”理系離れ”なんて即解消されます。
先生だって必死になりますよ、マジで。
でも、女の子にモテるようになるかどうかはハナシが別ですけどね。
残念ながら。















タグ:科学 apple
posted by 岡昌之 at 02:01| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月13日

記事が掲載されました




SOLAR JOURNAL web版に僕の済州島エコレポートが掲載されました。
ぜひご覧下さい。
http://www.solarjournal.jp/10565/iccjeju/



タグ:エコ 済州島
posted by 岡昌之 at 22:44| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月12日

国際バカロレア学習者像



IB学習者像

探究する人
生来の好奇心を育みます。調査と研究を行うために必要なスキルを獲得し、自主性を発揮しつつ学習します。主体的な学びを楽しみ、この学びの喜びを生涯通して持ち続けます。

知識のある人
地域、そして世界的に重要な概念、考え、問題を探究します。そうする中で、特定の学問分野に偏らず幅広く、バランスのとれた深い知識を身につけ、その理解を育みます。

考える人
複雑な問題を認識し、それに取り組み、筋の通った倫理的な決定を行うために、批判的かつ創造的に考えるスキルを積極的に応用します。

コミュニケーションができる人
複数の言語、多様なコミュニケーションの方法を用いて、考えと情報を自信を持って創造的に理解し表現します。まわりの人と積極的かつ効果的に共同作業を行います。

信念を持つ人
正直さと誠意を持って、公正と公平、そして個人、集団、及び共同体の尊厳に対する尊敬の念を強く持って行動します。自分自身の行動と、その行動に伴う結果に対して責任を負います。

心を開く人
自己の文化と経歴を理解し、大切にすると同時に、まわりの個人と共同体の視点、価値観、伝統に対して心を開きます。常に多様な視点を探して評価し、その経験を糧に成長しようと努力します。

思いやりのある人
他の人たちが必要としていること、感じていることに対して思いやり、共感、そして尊重する気持ちを示します。他の人たちの生活と環境に良い影響を及ぼすために奉仕し、行動することを自分の責任とします。

挑戦する人
未知の状況や不確実な事態に対し、熟慮しつつ勇気を持って取り組み、新しい役割、考え、戦略を探る自立した精神を持ちます。自分の信念を守るために恐れることなく、明確な態度を示します。

バランスのとれた人
自己及び他者の幸福を達成するために、知性、身体、心のバランスをとることが重要であると理解します。

振り返りができる人
自己の学習と経験を深い洞察力をもって熟考します。個人の学習と成長を促すため、自分の長所と短所を評価し、理解することができます。



タグ:IB
posted by 岡昌之 at 16:05| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月21日

子供の安楽死について

世界初の法律が、ベルギーにて間もなく施行される。

それは、「子供の安楽死」を認めるもの。
 
(NewsWeek日本版の記事はこちら)http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2014/02/post-3184.php 

 ベルギーはご存知の通り「安楽死」先進国。現在、年間で1400人もの人が安楽死を選ぶ。ベルギーの人口は1100万人だから、日本でいうと年間1万4000人もの人が安楽死で亡くなっている感じだ。これはとても大きい数字と言える。隣のオランダでは12歳以上の子供に安楽死が認められているが、今回のベルギーの法律では、赤ん坊を含む全ての子供が対象となる。これには、安楽死先進国のベルギーとはいえ、法案の可決後も論議が止むことがないようだ。

 さて、幼い子供をもつ身として、この問題は何とも言えない複雑な思いになってしまう。確かに、もしも我が子が不治の難病に苦しんでいたら・・・と考えると、とても他人事とは思えない。いつか治療法が見つかるかもしれない、と言われても、今目の前で苦しむ我が子の姿を見たら、そんな不確実で過酷な日々を過ごすことができるだろうか・・・ そんなことを考えていたら、ふと、10年前に経験した”母の死”を思い出した。

 ある日、新潟に住む母が突然倒れ、末期がんで余命三か月だと言い渡された。当時僕は新宿でバーテンダーとして働いており、週に一度は早朝まで店を営業した後に新幹線に飛び乗って新潟まで行き、母の病室で一日を過ごし、翌日の夕方までに東京に戻るということを続けていた。残り少ない母との日々を共に過ごすために・・・ いよいよ容体も悪化してきたある夜のこと、母は苦しそうに僕にこう叫んだ。

「ああ、殺してくれ!このチューブを外して、もうお願いだから殺してくれ!」

 僕と母以外誰もいない部屋。僕が母の願いを聞けば、母は楽になれる。母はそれを望んでいた。そして僕も、どこかでそれを望んでいた。なぜなら目の前にいる母は、もはや抗がん剤やモルヒネ漬けで、かつての母とはまったく外見も内面も変わり果てていたからだ。薬で体は水死体のように膨れ上がり、意識がある内の半分くらいは幻想を見ていたり、言動が幼少期に戻っていた。
 母の意識が遠のき、再び静まり返った病室で、僕は葛藤していた。生命維持装置を外すことは母のためになるのだろうか・・・ これは僕にとってどういう意味をもつことなのか・・・ 正直、僕は怖くなった。結論など出せるわけもなく、ただひたすら怖くなった。母は殺せと言う。医師ももうすぐ死ぬだろうと言う。でも、誰も”死なせてあげよう”とは言わない。僕が母の願いを聞き、母の最期の道筋を作ってあげることは、許されることなのだろうか?
 そのニ週間後、母は息を引き取った。あの夜が母と最後に言葉を交わした日となり、そのあと僕はただそばにいてあげることくらいしかできず、母の死に対しては、悲しさよりも虚しさや無力感だけが僕の中にあった。


 さて、子供の安楽死。僕には正直わからない。年齢に関係なく、全ての人に対する基本的人権だということは、理論的には理解できる。でも、やっぱり当事者になってみないとわからない。ただ、そういう権利が認められていて、制度として準備されているということは、ありがたいことかもしれない。でも、その選択肢があったとしても、心の葛藤は消えることはないだろうけど。



 
 
タグ:安楽死
posted by 岡昌之 at 19:01| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月22日

英米・小学校での外国語学習事情

 今年2014年から、イギリスの公立小学校で外国語が必修化される。フランス語・ドイツ語・スペイン語・イタリア語・ギリシャ語・ラテン語・中国語の中から選択し、7歳から外国語授業を行うそうだ。イギリスでは長年高等教育での外国語離れが深刻化している。世界のグローバル化が進み、英語さえ話せれば取りあえず世界のどこでも困ることがないからだ。しかし、それでは海外からイギリスにやって来る優秀な留学生たちとの成績の差は広がる一方。そこで、ついに小学校からの必修化に踏み切ったわけだ。かつて世界を股にかけ、航海・通信ルールと英語をグローバルスタンダードとして広めていった大英帝国も、グローバル社会で生き抜くために外国語を真剣に学ばなければいけなくなったということは、何か皮肉のようでもある。

 さて、もう一つの英語大国アメリカでも、公立小学校での外国語教育が大流行中だ。イギリスと違い、それは国家プロジェクトではないが、都市部の小学校では英語だけでなく外国語でも学べるようになってきている。アメリカでは英語が憲法で明確に”国語”として定められていないので、一定数以上の保護者が外国語での教育を公立学校に求めれば、憲法上学校側も無視することはできない。現在ニューヨークなど都市部の小学校では、スペイン語・中国語での授業も行われているところが多い。そこに最近フランス語が加わり、公立小学校での外国語教育は加熱の一途をたどっている。外国語を学ぶことで、多文化社会への理解が深まるほか、英語のボキャブラリー増加にも一役買うという一面もあるらしい。国際バカロレアIBの小学校向けプログラムPYPが多くの公立学校で取り入れられていることも、関係しているかもしれない。

 しかし残念なことに、イギリス・アメリカ両国の小学生向け外国語授業に日本語が取り入れられるということは無いようだ。オーストラリアの学校では、今でも補助科目として日本語クラスが残っているところがあるが、年々その数は減少しつつある。日本語を学ぶ子供たちが相対的に少なくなるということは、将来大きな影響を及ぼすかもしれない。

 
posted by 岡昌之 at 13:31| Comment(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。